やっと話せるようになりました。
2004年10月4日 恋愛私が毎日楽しみにしているとある方の日記があるのですが。
それを読んで思い出したことがあり、やっと書く気になりました。
************************
旦那と再会して付き合う前、私には4年付き合っていた人がいました。
短大の卒業間際に付き合い始め、その後私は就職、彼は福岡の大学に通っていました。
それから彼も無事卒業し、東京の会社に就職。
最終的に、熊本と東京の遠距離恋愛となりました。
熊本と東京の遠距離は、約2年続きました。
そしてその間、私たちの間も少しずつ変わっていきました。
私は側に誰かがいて、私を理解して見守ってくれていないと我慢できない性格。
彼は慣れない環境の中で、自分のことで必死で。だから、疲れ果てて帰ってくるのに「辛い、悲しい、会いたい」と訴える私に段々疲れていたのだと思います。
ある日、電話中に別れ話になりました。
だけど私は別れたくない。彼しか見えてなかった。
だから、次の日仕事を休み、飛行機に乗って彼に会いに行きました。
そんな私を、彼は暖かく迎えてくれた。
別れ話は、いつのまにかなくなり、幸せな日々が戻ってきました。
だけど何も変わっていない。相変わらず私は自分の辛さを訴えるだけ。
「彼のもとへ行けば、私は幸せになる。」
そう思って、結婚を夢みて、彼に迫るようになりました。
彼は私が辛そうにしているのを感じ、結婚も承諾しました。
でも現実として受け入れることはできなかった。
彼も自分のことが精一杯だったのでした。
私が東京へ遊びに行き、彼を強引に誘って「ブライダルフェア」へ行った夜。2度目の別れ話が持ち上がりました。
売り言葉に買い言葉のように、私は彼に「友達のところに泊まって!」と言い放ち、私は彼のアパートに1人で帰りました。
その夜、1人っきりのアパートで。
私は大量の薬を飲んで救急車で運ばれました。
本当に死ぬつもりじゃなかったのです。
彼に帰ってきて欲しかった。
でもどういえば帰ってきてもらえるのかわからない。
彼の気を引くために、そこらへんにある何の薬かわからないものをたくたさんたくさん飲みました。
私からの電話でそれを知った彼は、大急ぎで戻り、私を病院に運びました。
初めて殴られました。
私は病院で胃の洗浄を受け、彼のアパートに戻ってきました。
病院の先生は、ワケも聞かず、「苦しかったね」と一言優しく話しかけてくれました。
それからの私と彼は、長くは続きませんでした。
私に接する彼は、優しいけれど「俺がまた別れ話を持ちかけたら、こいつはまた同じことをする」というような、おびえた接し方でした。
私は私で、それに気づいていながらも、その話をしたらもう本当に彼とは一緒にいられなくなるとわかっていたので、彼に気を遣って接していました。
お互いが気を遣い、苦しい日々でした。
そして3度目の別れ話が出ました。
もうその状態に彼が耐えられなくなったのでした。
私は本当に、本当にズルく、ヒドい女でした。
一度は納得して別れたものの、「妊娠したかも」なんて見え透いたウソまでついて、彼とヨリを戻そうとしました。
だけど彼はそれでも戻ってこなかった。
私のそのウソに気づいたのかそうでないのかわからないけれど、「でも・・・お前とは一緒にいられない」と言って、私から離れていきました。
*************************
その後私は旦那と付き合い、幸せな結婚をし、来年には新しい家族を迎えることになりました。
大量の薬を飲んで救急車で運ばれたこと、親には言えないままです。
そのときはそれしかないとしか思えなかったのだろうけれど、親には申し訳なく思います。
きっと、彼と無理やり付き合いつづけて結婚しても、私は幸せにはなれなかったと思います。
今ごろどうしてるかな、体壊さず頑張って仕事してるかな?とたまに気にはなりますが、それでもやっぱり今の旦那と結婚したからこそ私は幸せなんだと思います。
書きたいことを書きたいままに綴りました。
不快にさせてしまったら、ごめんなさい。
というか、ムダに書きすぎた。でへ。
だからなんだっつーの!と言われればそれまでなんだけど、まぁ今が幸せだなぁ、とふと思ったので。
ひねくれたノロケ話だとでも思ってちょ〜。
それを読んで思い出したことがあり、やっと書く気になりました。
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旦那と再会して付き合う前、私には4年付き合っていた人がいました。
短大の卒業間際に付き合い始め、その後私は就職、彼は福岡の大学に通っていました。
それから彼も無事卒業し、東京の会社に就職。
最終的に、熊本と東京の遠距離恋愛となりました。
熊本と東京の遠距離は、約2年続きました。
そしてその間、私たちの間も少しずつ変わっていきました。
私は側に誰かがいて、私を理解して見守ってくれていないと我慢できない性格。
彼は慣れない環境の中で、自分のことで必死で。だから、疲れ果てて帰ってくるのに「辛い、悲しい、会いたい」と訴える私に段々疲れていたのだと思います。
ある日、電話中に別れ話になりました。
だけど私は別れたくない。彼しか見えてなかった。
だから、次の日仕事を休み、飛行機に乗って彼に会いに行きました。
そんな私を、彼は暖かく迎えてくれた。
別れ話は、いつのまにかなくなり、幸せな日々が戻ってきました。
だけど何も変わっていない。相変わらず私は自分の辛さを訴えるだけ。
「彼のもとへ行けば、私は幸せになる。」
そう思って、結婚を夢みて、彼に迫るようになりました。
彼は私が辛そうにしているのを感じ、結婚も承諾しました。
でも現実として受け入れることはできなかった。
彼も自分のことが精一杯だったのでした。
私が東京へ遊びに行き、彼を強引に誘って「ブライダルフェア」へ行った夜。2度目の別れ話が持ち上がりました。
売り言葉に買い言葉のように、私は彼に「友達のところに泊まって!」と言い放ち、私は彼のアパートに1人で帰りました。
その夜、1人っきりのアパートで。
私は大量の薬を飲んで救急車で運ばれました。
本当に死ぬつもりじゃなかったのです。
彼に帰ってきて欲しかった。
でもどういえば帰ってきてもらえるのかわからない。
彼の気を引くために、そこらへんにある何の薬かわからないものをたくたさんたくさん飲みました。
私からの電話でそれを知った彼は、大急ぎで戻り、私を病院に運びました。
初めて殴られました。
私は病院で胃の洗浄を受け、彼のアパートに戻ってきました。
病院の先生は、ワケも聞かず、「苦しかったね」と一言優しく話しかけてくれました。
それからの私と彼は、長くは続きませんでした。
私に接する彼は、優しいけれど「俺がまた別れ話を持ちかけたら、こいつはまた同じことをする」というような、おびえた接し方でした。
私は私で、それに気づいていながらも、その話をしたらもう本当に彼とは一緒にいられなくなるとわかっていたので、彼に気を遣って接していました。
お互いが気を遣い、苦しい日々でした。
そして3度目の別れ話が出ました。
もうその状態に彼が耐えられなくなったのでした。
私は本当に、本当にズルく、ヒドい女でした。
一度は納得して別れたものの、「妊娠したかも」なんて見え透いたウソまでついて、彼とヨリを戻そうとしました。
だけど彼はそれでも戻ってこなかった。
私のそのウソに気づいたのかそうでないのかわからないけれど、「でも・・・お前とは一緒にいられない」と言って、私から離れていきました。
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その後私は旦那と付き合い、幸せな結婚をし、来年には新しい家族を迎えることになりました。
大量の薬を飲んで救急車で運ばれたこと、親には言えないままです。
そのときはそれしかないとしか思えなかったのだろうけれど、親には申し訳なく思います。
きっと、彼と無理やり付き合いつづけて結婚しても、私は幸せにはなれなかったと思います。
今ごろどうしてるかな、体壊さず頑張って仕事してるかな?とたまに気にはなりますが、それでもやっぱり今の旦那と結婚したからこそ私は幸せなんだと思います。
書きたいことを書きたいままに綴りました。
不快にさせてしまったら、ごめんなさい。
というか、ムダに書きすぎた。でへ。
だからなんだっつーの!と言われればそれまでなんだけど、まぁ今が幸せだなぁ、とふと思ったので。
ひねくれたノロケ話だとでも思ってちょ〜。